子どもを育てるということ

【子どもを育てるということ】
結婚後3人の子育てに長い間専念してきた私は夫の仕事の都合で10年以上の転勤生活をしてきました。
それまで家族や友人から遠く離れたことの無かった私でしたが結婚し、知り合いのいない転勤先で産まれたばかりの赤子を連れて家族で暮らすことは、当時の私には疑問すら起こらないほどに当然のことでした。
夫が1年間で転勤になることもあり、土地に馴染み、漸く人との繋がりができたと思う頃にはまた転勤。
そんな引っ越しの多い生活を繰り返してきました。
一番上の子どもが赤子の頃、夫も仕事で殆ど家に居ない状況。
自由に出かけることも出来ない中、始めは友達もできず、家で子どもと2人どうしたものかと考えながら、心の奥では社会との繋がりを欲し、子どもが寝ている間に勉強をしたり、常に自分のキャリアを意識して生活していた記憶があります。
思うように子どもが寝てくれなかったり、体調をくずしてしまう時は自分も殆ど睡眠をとれず、当然やりたいことも出来ず、イライラしたり、何故か涙が溢れてきたりする時もあり、自分の将来が真っ暗に感じてしまうこともありました。
それでも月日の経過とともに、共感できる友達を求める気持ちが強くなったこと、また転勤生活に慣れてきたこともあったせいか、新しい土地で知り合いを作るスキルが身につき、幸運にも子育てをする母どうしのつき合いもできるように。
お互いの気持ちを話せる友達ができたこともあって、子育ての楽しさを感じるようになってきました。
だんだんと気持ちも整理され、子育て中心の生活になっていった私。
早朝のランニングの時間は確保しながらも、自分の時間はどんどん減っていきました。
しかしその頃から私は「子育てを仕事として捉える」ようになっていたのだと思います。
その時ははっきりとそう捉えていたわけではありませんが、規則正しい生活と、毎日の家事はさぼることなく続け、子どもの教育についても当時の私にできることは何でもする勢いで頑張っていたと思います。
しかし、頑張り過ぎて失敗したことも。
自分の思うようにいかない子ども達にに対していらいらしたり、叱り過ぎたり、今思うと子どもには申し訳なく思うことも多々あります。
例えばピアノを習わせていた次女のピアノ教室へ付き添い、娘以上(?)に真剣に先生がおっしゃることをノートに書き出しては自宅で練習している娘に指摘したり、ヴァイオリンを習う長女と夏季合宿へ長野へ行っている間も、電話ごしに次女のピアノの練習を聴いたり。
行き過ぎた教育の甲斐あり、コンクールでは高い評価を得られました。
しかし次女が中学生になり、部活も始めることからゆるーく習っていた書道とピアノのどちらかを選択させた時、彼女は迷わず書道を選びました。
こんな調子で、子どもが本来自分で乗り越えなければならないミッションを私の過剰な頑張りによって奪ってしまったことは他にも色々あるのだと思います。
今振り替えると失敗だらけの子育てです。
それでも子ども達はそれぞれに自分の道を自分で選び前に進んでいる。
ピアノをやめた次女は、現在大学生。書道家の道も選ぶことはなく、来春からは自身で志望した銀行へ就職します(予定)。
子どもから見るとまだまだ至らぬ母親ですが、ただ一つ、私に誇れるものがあるとすれば、とにかくよそ見をせずに本気で子どもに体当たりしてきたことです。
(その度に学ばせてもらったのは私の方でしたが。)
子育てをすることは、綺麗事ではできません。
倫理観を捨てることもできませんし、投げ出したくなる時も、歯をくいしばって親を努めることもあります。
そして私が沢山の失敗や逃げ出したい気持ちから何度も起き上がりこぶしのように起き上がれたのは、社会で子育てをしながらキャリアを積んできた友人の影響も大きいと思っています。
毎日朝早くから起き、お弁当や朝食、名前の無い家事をこなしながら自分の身支度をして子どもを保育園に送る。
帰りは保育園が終わるぎりぎりの時間に急いで迎えに行く日もある。
働きながら子育てをしている彼女たちの姿をずっと近くで見てきました。
そんな彼女達の強く逞しい姿勢に励まされ、与えられた場所で私も真剣に子育てをしてこられたのだと思います。
社会で働きながら子育てをする道、
家庭に入り子育てをする道、
それぞれに選ぶ道は違いますが、子育ての本質を見失うことなく日々働いているという意識は共通している。
彼女達に憧れを持ち足掻いていた私が次第に自分の生きざまに誇りが持てるようになったのも、彼女たちの存在があったからだと思います。
今心から思うこと、それは「子育てをすることはキャリア」だということです。
未だ子育てがブランクとなってしまう日本で、もっと子育てをキャリアと認めるものになってほしい。
子育てをする親御様が誇りを持って臆することなく子育てをしてほしい。
そう願う気持ちは今もやみません。