学びたいという気持ち

希望の光

【学びたいという気持ち】

先日、ある方からお勧め頂いた本の内容が大変印象深く心に残り、この話しについて私が感じたこと書こうと思います。

文章は昭和初期の新聞の投稿集が書籍になったものに書かれていたものです。

明治時代東北に生まれ大変貧しい暮らしをされていた女性の話でした。
投稿を書かれたのはその女性の息子さんです。

明治時代、貧しい家に生まれた多くの方は学校にも行かせてもらえず、家で農業などの手伝いをしていました。
特に女性の教育には稀有の時代です。

昭和初期、打ち続く冷害や不景気の中、若くして嫁いだこの女性は働きながら子どもを懸命に育てました。
自分は勉強などする余裕がなく、読み書きも出来ませんでした。

せめて自分の名前くらい書けるようになりたいと、当時小学校に通い始めた息子さんを先生にし、読み書きを習っていたそうです。

農仕事の後、1日の労苦に疲れ果てながらも芽生えた向学心は尽きること無く、毎日吊りランプの下、節くれだった指で「イロハニホヘト」を指でなぞりながら真摯に打ち込むのですが、どうしても覚えが悪く、次の日には忘れてしまう母に、息子さんは業を煮やし声を荒げることも。

益々続く貧窮に手習いは途絶え、結局読み書きの出来ないまま女性は亡くなりました。

息子さんはご自身が初老となってから、もっと優しく丁寧に教えてあげていたら・・・と、悔いが残る気持ちをこの投稿に書かれていていました。

自分が歳をとるにつれ、母親が読み書きを「学びたい」と思ったことが、生きる上でどれほど大切なことだったかを感じたのだと思います。

先週私は「自分の成長や変化を感じる場所」が生きるために必要なのではないかといったことを主旨に【居場所】という投稿をさせて頂きました。

字が書けることによって利益があるかどうかは定かではありません。
しかし女性は学びたかった。

知らなかった文字や読み方を学ぶことから、辛い農作業と貧窮の中の生活とは別の「居場所」を育てたかったのではないかと思うのです。
それは「生きること」と同じだったのだと。

学びたい時に学べる環境があることは大変贅沢なことだと思います。

同時にその贅沢は人の生きる糧なのではないかとも思います。

この本を読ませて頂き、どんな方も自然体で自由に学びを得られる社会を皆で支えながら作っていきたいという私の気持ちは、より一層強くなったのでした。