コンストレーション

希望の光

【コンストレーション】

広い霊園の敷地の雪も溶け、昨日は今年初めて父の墓参りに行きました。

北海道石狩平野が一望できる霊園の周りには、厳しい北国の冬に耐えた沢山の木々が、漸く訪れた春の陽射しを浴び、喜びに包まれるかのように立っています。

そんな木々を見つめ触れながら考えていた「コンストレーション」について、投稿しようと思います。

投稿をご覧頂く前に、始めにお伝えしたいのですが、私は強い信仰心を持っていたり、霊が見えたりする力を持っている人間ではありません。

しかし、目に見えないものや、科学的に証明されないものに対し、それらを信じていたいという気持ちはありますし、アインシュタインの「時空連続体」という考えや、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」についても、興味を持っています。

そんな私ですが、以前は偶然だと思っていた(思うようにしていた)「コンストレーション」について、説明させて頂きながら、見えないものの力を感じるようになった今の自分の考えについて書いてみようと思います。

「コンストレーション」は、英語では「星座」という意味で、一つ一つの関係なく見える星(現象、事象)に「意味」を感じ、その星が繋がりを持つことによって、「ストーリー」を感じるということです。

振り返ると、私はこれまで「コンストレーション」を感じる経験を沢山してきました。

今回は特に私の人生において大きな影響を与えたコンストレーションについて、書いていきます。

20代、会社員として働いていたある日、私は自分の体から沢山の魚が出てくるという、奇妙な夢を見ました。

普段は夢を見ても直ぐに忘れていた私ですが、とても衝撃的な夢だったこともあり、夢の映像が今でも忘れられないくらい強く記憶に残っていたのです。

あまりに鮮明な夢の記憶が気になり、夢診断で調べてみると、そこには様々な言葉と並んで、「生命エネルギー」という言葉が書かれていました。
夢診断が当たっているかどうかはさておき、並んだ言葉の中にあったこの「生命エネルギー」という言葉がその時の私には大変印象深く感じたのです。

話は変わり、当時スカイダイビングが好きだった私は、勤めていた会社の夏休みはたいてい旅行の計画を立てていました。

その年も旅行会社へ申し込みに行く予定でした。

恐怖感の先にある美しい世界に魅了されていた当時の私は、危険を深く考えることもなく、強い刺激を求めていたのかもしれません。

しかしその年の夏、私はスカイダイビングをせず、香港へ行くことにしました。
女性の殆どいなかった職場で私と仲良くして下さっていた、別の部署の女性の先輩から不意にお誘いを頂いたのです。

先輩は結婚を控え、その年の秋に退職する予定でしたので、その前にゆっくり2人で旅行するのもいいなぁと思ったのです。

2人で香港へ行った時、先輩がリサーチしていた素敵な家庭用品のお店や、将来のためにと、ベビー用品のお店まで先輩につきあって歩いていたのですが、ベビー用品のお店で店内を何となく見ていた私は、棚の上にあった女の子用のベビー靴があまりに可愛く手離せなくなり、部屋の飾りにでもしようと購入を決めました。

楽しかった旅行から帰って間もなく、私は支店長から支店長室に来るよう、呼び出されました。
入社当初から、希望通り配属されていた事業部に新しいシステムが導入されたことから、次の年からは仕事内容の全く違う部署に配属されると伝えられたのです。

ここまで断定的な伝え方ではありませんでしたが、自分にはもったいない程に沢山の学びを頂けた会社に対して、感謝しておりましたし、支店長の話しを断ることが、当時の私にはできませんでした。

それから間もなく、私は自分が妊娠していることに気がついたのです。

香港へ行った時には既に妊娠していた私は、身体に負担のかかるスカイダイビングをしていなかったことに安堵せずにはいられませんでした。

また、結婚後は転勤を繰り返す夫についていくことが、当時の私は当たり前だと思っておりましたので、部署の変わる前に退職願いを出せることはタイミングも良く、私はまるで何かに導かれるかのように判断し、事態の急変にも慌てることはありませんでした。

そうして私は会社を辞め、その後無事女の子を出産したのです。

その長女は小学生の頃、大きな病気を患い、私が仕事をしていたとしても、おそらくは辞めることになっていたと思います。

妊娠前に見た魚の夢、生命エネルギーという言葉を印象的に捉えたこと、香港で惹かれて購入した女の子のベビーシューズ(自分が女の子を産みたいとは特に思っていませんでした)…。

非現実的なことでありながら、偶然とは言い切れない何かを感じております。

このように、一つ、一つは関係の無い出来事に対して意味を感じ、そして何かに導かれるかのような感覚。

「コンストレーション」は正に全体が一つのストーリーのように成り立っているものだと感じます。

一つ、一つの意味をどの様に解釈し、判断していくのかは、人によって違うのだと思います。

しかし、今、ここに在るものやご縁に感謝し、私達を支える自然環境全てに心から感謝することで、穏やかな心は得られ、導かれるような判断をすることができるのかもしれない……。

冷たく、しかし温かい木の温もりを感じつつ、冬の間愚痴の一つも言わずこうして温もりを与えてくれる木々に感謝しながら、そんなことを考えていた日曜日でした。

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